満月とアマローネ [イタリア 赤]
忙しかった一日が終わり、窓を開けると
大きく白い星と並んで満月。
台風一過、澄んだ夜空に
恐いほどの美しさ。
いにしえの人は美しさの極みを
「雪月花」に例えた。
まさにそうだろう。
しかし、月の美しさは
目には見えても手に届かない分
遥かな想いと憂いを誘う。
今日一枚のハガキが届いた。
エアメール
「お元気ですか?」
「私は今、イタリアに旅に出ています。」
Tさん、一年前の電話の声、
いつもと違う沈んだ声。
「私、会社を退社することになりました。
長いあいだお世話になりました。」
「そうですか。これからどうするんですか。」
「 なんか疲れてしまって・・、
しばらくのんびりしたいと思います。」
あれから何故か僕からはTさんに連絡することがなかった。
「360度、ぶどう畑。 最高の気分です。」
最高の気分か・・・・。
元気でよかった。
ハガキの裏の一面のぶどう畑の写真に
Tさんのいつもの笑顔がよみがえった。
ボトルに残ったワインをグラスに注ぐ。
アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラ。
貴高い香りにロマンが溶けこんでいる。
疲れと酔いが回った頬に
夜風が気持ちいい。
秋だ、旅か。 いいなぁ。
頭の中に音楽がゆっくりと鳴りはじめた。
メンデルスゾーン「無言歌集」の「ベネチアのゴンドラの歌」。
ギーゼキングのピアノ。
8分の6拍子、揺れるゴンドラにあわせて
櫂にあたる水の音。
ため息のように繰り返される旋律・・・。
満月の明かりが波間にゆれている。
ゆらゆらとイタリア旅行の記憶がよみがえってきた。
ローマの広間、フィレンツェのフラ・アンジェリコ、
ベネツィアのレストラン・・・。
今夜はもう遅い。
あとひとくち、
グラスの中に揺れる月を見ながら
アマローネのビターな苦味がきえるまで
ゴンドラに揺られていよう。
Tさん、Buona notte.
おやすみなさい。